篠田信子の新森のテラスから

富良野の森に住み、自然や文化への想いをつれづれに

1000年に一度の大惨事!

東北関東大震災、マグにニュード9.0(8.8から修正)。

豊橋市への出張に行く途中遭遇した。
11日に12:55旭川発羽田行きのJALに搭乗した。離陸直前に、計器の不具合あったとのことで整備士がコックピットに入り、1時間遅れて14時離陸した。
15時、機長のアナウンスあり「東北地方に地震があり、羽田空港点検のため着陸を見合わせています」とのことで、上空を旋回していた。
15時25分再び地震が発生したので、中部空港へ向かうことになった。乗客は詳しい内容がわからないまま、あまり深刻に考えていなかった。
すると三度機長アナウンスで「中部が混雑しているので、燃料のこともあり伊丹空港へ着陸します」と・・・。
16時45分4時間のフライトで伊丹空港へ・・・しかし新幹線はすべてストップしていて、空港も新幹線乗り場も大混乱していた。携帯電話も全くつながらない。
ここへきても、まだちょっと大きな地震なのだと思っていた・・・・しかしホームで夜を明かすことはできないと、必死で在来線を4本乗り継いで超満員のJRで豊橋のホテルについたのが10時30分。
すぐテレビを見て愕然!想像を絶する津波の恐ろしさに胸がつぶれそうだった。13階のホテルの部屋で、何度も地震で目が覚めた。
いつでも避難できるように荷物は開かずにいた。
携帯電話が通じず、家にも出張先にも連絡できず困った。みんなも心配してくれていたようだった。
翌日になってホテルからの電話がやっと通じた。
今朝一番の新幹線に乗り羽田へ、そして無事飛行機も飛んで夕方帰宅した。
大変な経験をしたが、幸運が重なっていたと思う。
一つは、11日定刻に離陸していたら羽田に着陸しそこで足止めされて動けなかった。遅れたのが幸いした。
二つ目は、大阪からのJRの在来線が豊橋まで運行していたこと。(その先は運休)
三つ目は、翌日の予定の仕事は出来たこと。そして帰る日には新幹線も飛行機も動いたこと。
時間がたつにつれ、被災者の数が膨れ上がり自然の恐ろしさを改めて痛感した。
3日間全テレビ局が終日(24時間)震災の報道をしていた。
一日も早い復興を祈るばかり・・・・・。