篠田信子の新森のテラスから

富良野の森に住み、自然や文化への想いをつれづれに

備忘録として・・・

10年前の3・11。あの日は豊橋市から講演依頼があり旭川空港から羽田空港へ飛び立ったところで、2時46分は機上の人。

羽田空港近くなっても上空で旋回しいつまでたっても着陸せず「地震があり滑走路を点検していますので、中部空港へ向かいます」とのアナウンス。

乗客には詳細は伝えられず機内では何の情報もありませんでした。

中部空港へ近づくと機首が大阪方面へ向きを変え再度のアナウンスが「中部空港は混雑していますので伊丹空港向かいます」えっ?とは思いましたがまだ乗客は平常でした。

伊丹空港着陸後に初めて事の重大さを説明されました。ざわつきだした機内でした。

兎に角豊橋までたどり着きたい一心で、満員の在来線を3回乗り換えやっとホテルにたどり着いたのは午前0時半。部屋のテレビをつけると炎に包まれた衝撃の映像が飛び込んできました。その夜はずっと余震が続き荷物も解かず着替えもせずベッドに横たわっていました。

翌日中止かと思いきや主催者は予定通りに講演会を開催しました。何を話したか記憶にありません。13日朝一番の新幹線に乗るため乗車券を買うと「新幹線は停電でいつ止まるかかわかりませんがいいですか?」と念を押されましたが飛び乗りました。乗客は数人でした(笑)。

無事品川に着き羽田に直行し北へと飛び立ち帰宅しました。

その時の反省

1,家族に携帯があるからとホテル名など詳細を知らせないで出かけたことへの反省。

2,災害時に携帯が使えいことを実感し、テレホンカード持つこと。

兎にも角にも大きな災害に今も復旧が困難になっている事へ心が痛むばかりです。

原発は如何にもろく,代償が大きいか・・いまだに放射線の脅威にさらされている。頼るのはやめましょう。