第14代豊島区高野之夫区長の葬儀は、まず家族葬で執り行う事になりました。
(6月に区民葬を行うようです。)
夫とは従妹で、兄弟以上に仲が良く家族同士で行き来していたんです。
9日に亡くなり、16日通夜、17日告別式・初七日と決まり、池袋の祥雲寺にはせ参じました。因みに、16日の朝富良野の気温は-25℃・・・寒かった~!
家族葬なので、お寺で本当に身内だけかと思ったけれど・・・喪主である娘が「父を慕う大勢の方が、お参りしたいと言われ、こんな形になってしまいました」と。
お参りの方々が大勢で、ご焼香を1時間早く開始しても時間内に終わらないくらい。
父親の功績を改めて実感したでしょうね。
芸術文化関係の方々、経済界の方々、地域の方々、職場の方々、政治家の方々・・・。
(固有名詞を書くのは控えましょう。)
400人以上の方々からの欄の花が届き、寺院内には飾り切れず、境内いっぱいに飾られていました、壮観です。悲しさも増しますね😢。
40人余りの木遣りの方々の唄で通夜の式が始まり・・・胸にしみました。
年末にコロナに感染し3週間の入院後、自宅療養をしていました。
基礎疾患があったとは言え、回復に向かっていたので2月8日の議会には出席するつもりであったようです。
5日に自ら原稿を書いたものは、副区長に代読していただいたようです。
区議、都議そして6期の区長を見事にやり抜いたのでしょう。
いつお会いしても「豊島区大好き」が、笑っちゃうほど体中からにじみ出ていました。
多くの方々からのお話で、区長としての仕事の様子がより鮮明に伺えました。
昔の池袋のイメージから脱却し、子供や女性が子育てしながら住みやすい豊島区、文化の香りがする豊島区、災害に対応できる豊島区・・・にしたい!!と。
勿論、達成するための現場の方々のご苦労は、察するに余りあるものがあります。
近影のスナップが何枚ものパネルに張られて、どれも区長の笑顔でした。
17日の告別式でも、木遣りの唄で送られて出棺されました。
初七日の法要を終え・・・
身近な方の見送りは、本当に悲しいですね。
東京へ行くたびに、時間があると区役所へ伺うと忙しい中でも時間を割いてくれて、
「信子さん・・・」と言っては、豊島区の自慢(笑)と、再開発でこれから変貌しようとする計画を話してくれました。
ある経済界の方が「高野さんは経営者として尊敬しています」ときっぱりおっしゃっていました。素晴らしいお褒めの言葉ですね。
区長は、たくさんの素晴らしい方々をご紹介し繋げていただきました。
その方々に勇気をいただき、私の活動の原動力になっているか計り知れません。
今思い返すと、区長とお会いして話す内容は、一にも二にも文化の事、再開発の構想の事しかなかったかも。とにかく豊島区愛に尽きました(笑)。
感謝でいっぱいです。
合掌!