篠田信子の新森のテラスから

富良野の森に住み、自然や文化への想いをつれづれに

44年目の別れ

10月5日午後2時51分に夫が旅立ちました。
7月末まで山部診療所の所長として勤務していましたが、体調を崩し入院しました。
何度も外出し、10月2日にも自宅まで外出したのですが。
亡くなる直前まで私と会話し、ある処置を受けるために私が詰所で承諾書にサインをしている間にあっけなく・・・・これが寿命と言うものなのでしょうね。
11日の葬儀まで6日間自宅で過ごしました。子供達が家を出てからこんなに長く家族全員が一緒にいたことは無いかもしれません。
私がブログを始めたのも8年ほど前に体調を崩した夫のことを離れて住んでいる子供たちに様子を知らせるためでした。その後療養しながらも見事に仕事に復帰しました。
訃報を聞きつけ多くの方が自宅に駆けつけてくださいました。
志の輔師匠は、落語会の前後に2回も来てくださりずっと主人のことを大切に思ってくださっていました。大好きな餓鬼先生の書がある場所に安置。

紅葉真っ盛りの自宅を後にして斎場に向かいました。

葬儀では弔辞などで知らなかった夫の仕事ぶりを知り、ただただ頭を垂れています。
家族で話し合い一番主人らしい姿の遺影にしました。

孫ちゃんたちが棺に入れたお手紙と大好きな大好きな飛行機も入れました。


結婚以来、家族から見ても一にも二にも患者さん第一の外医者でした。
外に出るのが苦手で手芸ばかりしている私に子育ての頃から「外に出なさい、外に出て世間を見なければだめだ・・・狭い考えの親になるから」と言われて渋々スポーツをしたり社会的なお役目を経験しました。
私の一番の理解者であり、常に背中を押し続けてくれた主人でした。
38年前に富良野に転勤してきて、骨を埋めると決心したころから「地域医療の充実・・・」と言う言葉をよく言っていました。
現役の院長の時に新築移転した富良野協会病院(近隣五市町村のセンター病院)で最後を迎えられたこと、現役の医者で最後を迎えたこと実にアッパレだと思います。
広い書斎の本(医学書、各ジャンルの小説、ペーパバック)と自分が組み立てた数えきれないくらいの飛行機たちが寂しそうです。
本当はパイロットになりたかったようです(笑)。今頃大空を飛んでいるでしょう。
葬儀の翌日に大きな記事が掲載されました。

やすらかに・・・。